愛媛県・石鎚山【 定例登山会 】



年間4回から6回?、定例登山を行っています。今回は尖峰会の皆さんが大好きな山の一つ、石鎚山へ向かいました。この山は色々なルートがある訳で、今回はゴールデンルートのみ。ちょっとルート選択でだだをこねてみましたが、すべて却下(;_:)。「協調性を持てよ、今回は山がメインじゃねぇ!親睦・宿泊がメインだ!!」とお叱りを受けてしまいました(笑)。しかたありません。。ですが今回も事務局をはじめ、皆さんには大変お世話になり、翌日行きたかった観光地まで行けて、大満足の山旅となりました。

14日早朝04:00に地元を出発し、しまなみ街道パーキング到着。自然にサークルが出来て笑い声が絶えません。いきなりテンションMax!今回は日帰り車1台、宿泊車2台の計3台で向かいました。



08:30ロープウェイに向かいます。



天気も快晴、超晴れ男が二人もいればご覧のよう



成就社に向けて歩道を歩き暖気運転



飛ばし屋な3人、マラソン・トレラン・バイクなどなど私とは鍛え方が違う。ですが今日はゆっくりとね。



後続はわいわいがやがやと話し声が賑やか。



石鎚神社へ到着し、各々がそれぞれの思いで手を合わせる。やおろずの神、にっぽん人らしい風景だった。写真は本日目指す天狗岳。



会の歴史マニアのミツオさん、今回はトレランシューズを履きフットワーク重視で軽快に。



同級生な二人、年齢から言えばとてもタフな二人です。毎日の努力でどんどん強くなっておられるようで、さすがです。



吉田栄作くんと凡太さん、対照的な二人です。栄作くんは大山トレランマニアです。



八丁坂鞍部付近にて。



知らず知らず班が出来いた。リーダーは班を作らないで登ろうと思ってたらしいが・・・。



盛り上げ隊代表の凡太さん。



試の鎖に到着。撮影のため、先に上がる。



試と言っても、1~3の鎖と何も変わらないし、登り応えのある鎖。上部で理由は分からないが、行動不能?の女性をロープを出していたガイドさんがいた。思い付きで行ったものの、恐怖のあまり動けなくなったんだろうと話していた。



「ロワーダウンします!!」と声が響き渡り、まだ事情が分からない私たち、思わずびっくり!!



かわいそうな感じだったが、女性をよそ目に私達は頂上へ。



下りもなかなかでした。



夜叉峠付近から正面に天狗岳が見え始める。そう言えば数年前、子供と天柱石ルートでここに出た。最後の急斜面はキツかった思い出がある。



1の鎖、今回は女性二人もチャレンジ。Kさんは初めての経験にしては怖がらず、どんどん登って行く。脚運びも良く、これならゲレンデチャレンジ出来そうな予感がした。大山の天狗といい、雪山といい、伸びしろがあるので今後に期待な彼女だった。



3の鎖まで見えた。



続いて2の鎖。





男性数名、後のメンバーは巻き道へ。



3の鎖は斜面が一番キツイかな?



ホールドは山ほどあるが、長くてしんどい。



神社の後ろへ出る



さすが土曜日、山頂は人だかりだった。ここで食事となる。



さて、天狗岳へ向けて出発。全員参加だ。



最初のここが一番難所か?



余裕な者が、怖がる者をフォローしあい一歩一歩進んで行く。



先頭の脚長おじさん達。



景色が抜群な場所。所々きれいな花が咲く。



同級生コンビ!



この4人のペースは驚いた。



ワルと克っちゃんはともかく、アツ田さんとK本さんは立派立派!



この岩の後ろから楽に登れるようだが、「このクラックで上がれるよ!」と言うと果敢に攻める(笑)



気持ちよさそうです。



みんなで。



しばらく景色を楽しんで、来た道を帰る。



お疲れさまでした!



また思い出の残る山となりました。



帰りもロープウェイ(笑)今回の山行も楽しく終える事が出来ました。計画してくれたワルと事務局さんには感謝であります。





そして道後温泉で宿泊。長い長い夜の画像は外部流出厳禁?なので(笑)

2日目の内子町と東平の観光の模様を。




約15年ぶりの内子町、島根に帰省して商工会で初めての視察場所がここ内子町。古い町並みを利用して開発。ここも商工会になったり映画館になったりと、危機的状況にさらされたらしい。



薬屋さん、「本日、大阪から新しい薬がはいりましてん!奥さん、こんなの如何でっしゃろ?ケチャップって言うもんらしいですが、一度試してみはりませんかぁ~!」と人形さんがしべってました。ケチャップは薬屋で売られてたのかぁ・・・。





色々楽しみなが散策し、私は唯一購入したのがロウソクでした。



我が町にも白壁の屋敷が数件並ぶが、やはり内子町には敵わない。しかし、以前より観光客が少なく、寂しい気持ちになった。10年もすれば人の流れは変わる者だと改めて思い知らされた。



続いて案内されたのは、東洋のマチュピチュと言われた東平の銅山跡地。ここには当時5000人もの人が住み、小学校・中学校、プールまであったそうで、今となれば住居の跡形もなく、一部が残るのみ。奥深い山の中腹には観光地としての姿が残るのみとなっていた。ところがマチュピチュと言われるだけあって存在する建物や風景がオリジナリティーを感じさせ、今回ここに来れて幸せだった。



長い階段を下りと遺跡か?と思わせる跡地が現れる。



絵を描く方々がたくさんいた。



楽しい山旅を満喫した。




(おまけ)


この荷は30キロ、女性用だそうである・・・(驚)

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